『征夷大将軍』…なんでこれが武家の棟梁なのかなぁ??? (゜.゜) [文系っぽいお話]
『征夷大将軍』
言わずと知れた幕府の最高権力者のことですね
元々は、朝廷が東北地方を征服するにあたって坂上田村麻呂をこの官職に任命したのが始まりですね。
という事は、元々の実態はかなり限定的なものだったということになりますな。
最初の武家による軍事政権『鎌倉幕府』は、源頼朝が征夷大将軍に任命されたからと学校なんかでは教わります。
しかしなんで東北地方を征服する為の臨時の官職が武家の棟梁をさすようになったのか
コリャー疑問がわいてきますよね
そこでちょいと調べてみると、源頼朝は、征夷大将軍に任じられる前に、『日本国総追捕使』『日本国総地頭』という官職を恒久的に務めることを朝廷から確認されています。
つまり、この段階で日本国の国家的な軍事・警察の総元締めとしての地位を確立するというわけです。
その後、御家人を率いて国家守護に当たる‘鎌倉殿’に対して、朝廷から付与されたのが『征夷大将軍』の称号だという事なのですね。
しかし、過去にもこんなふうに実態のない”名ばかり官職”を実権のあるものに与えて、以降、その官職が実質的な意味をもつようになった例はあるようですな。
例えば、平清盛が与えられた『太政大臣』も、当時は名ばかり官職だったのですが、清盛の実権により、官職そのものが息を吹き返したという事もあったようです。
こんなふうに日本では古来より、あるものをできるだけ活用するという、精神的なエコ思想があったように感じるのは私だけでしょうか
言わずと知れた幕府の最高権力者のことですね
元々は、朝廷が東北地方を征服するにあたって坂上田村麻呂をこの官職に任命したのが始まりですね。
という事は、元々の実態はかなり限定的なものだったということになりますな。
最初の武家による軍事政権『鎌倉幕府』は、源頼朝が征夷大将軍に任命されたからと学校なんかでは教わります。
しかしなんで東北地方を征服する為の臨時の官職が武家の棟梁をさすようになったのか
コリャー疑問がわいてきますよね
そこでちょいと調べてみると、源頼朝は、征夷大将軍に任じられる前に、『日本国総追捕使』『日本国総地頭』という官職を恒久的に務めることを朝廷から確認されています。
つまり、この段階で日本国の国家的な軍事・警察の総元締めとしての地位を確立するというわけです。
その後、御家人を率いて国家守護に当たる‘鎌倉殿’に対して、朝廷から付与されたのが『征夷大将軍』の称号だという事なのですね。
しかし、過去にもこんなふうに実態のない”名ばかり官職”を実権のあるものに与えて、以降、その官職が実質的な意味をもつようになった例はあるようですな。
例えば、平清盛が与えられた『太政大臣』も、当時は名ばかり官職だったのですが、清盛の実権により、官職そのものが息を吹き返したという事もあったようです。
こんなふうに日本では古来より、あるものをできるだけ活用するという、精神的なエコ思想があったように感じるのは私だけでしょうか
2013-05-14 17:01
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