“割合”、“パーセント”、学生さんの「それ嫌い!」シリーズ (;一_一) [理系っぽいお話]
“割合”や“パーセント”の入ってくる計算が出ると、
「それ嫌い!」
っていう学生さんの比率がぐんと上がります。
学校なんかで、
「$a$の$x$割増の式は…」
\[a(1+\frac{x}{10})\]
「ですよね!」
なんて言う風に教わりますが、皆さんこれ当たり前ですか
カッコのなかの“1”ってなんだろ? っていう質問をよく受けるんですよこれが。
ちょっとづつひも解いてみると、実は意外と簡単です
まずは、$a$の$x$割増しっていうんですから、これは、
$a$+($a$の$x$割)
って書けるのはわかりますよね。
この、『$a$の$x$割』というのは、
\[a\frac{x}{10}\]
ですから、
$a$の$x$割増しは、このすぐ上の式を$a$に足して、
\[a+a\frac{x}{10}\]
と書けます。
と、ここで$a$が、共通なので“因数分解”(同じ文字でくくるだけなんですけどね!)して、
\[a(1+\frac{x}{10})\]
と書けることが分かったわけです。
これが、
「$a$の$x$割減(割引)」
なら、
\[a(1-\frac{x}{10})\]
ですし、
「$a$の$x$パーセント増し」なら、
\[a(1+\frac{x}{100})\]
となるわけですね。
公式(的なもの)は、便利な道具ですが、
道具に振り回されないように、
しっかりと由来を確認しておくことも大切です。
それではまた、学生さんの悲鳴が聞こえたときに、
記事を投稿しますね。
ごきげんよう
「それ嫌い!」
っていう学生さんの比率がぐんと上がります。
学校なんかで、
「$a$の$x$割増の式は…」
\[a(1+\frac{x}{10})\]
「ですよね!」
なんて言う風に教わりますが、皆さんこれ当たり前ですか
カッコのなかの“1”ってなんだろ? っていう質問をよく受けるんですよこれが。
ちょっとづつひも解いてみると、実は意外と簡単です
まずは、$a$の$x$割増しっていうんですから、これは、
$a$+($a$の$x$割)
って書けるのはわかりますよね。
この、『$a$の$x$割』というのは、
\[a\frac{x}{10}\]
ですから、
$a$の$x$割増しは、このすぐ上の式を$a$に足して、
\[a+a\frac{x}{10}\]
と書けます。
と、ここで$a$が、共通なので“因数分解”(同じ文字でくくるだけなんですけどね!)して、
\[a(1+\frac{x}{10})\]
と書けることが分かったわけです。
これが、
「$a$の$x$割減(割引)」
なら、
\[a(1-\frac{x}{10})\]
ですし、
「$a$の$x$パーセント増し」なら、
\[a(1+\frac{x}{100})\]
となるわけですね。
公式(的なもの)は、便利な道具ですが、
道具に振り回されないように、
しっかりと由来を確認しておくことも大切です。
それではまた、学生さんの悲鳴が聞こえたときに、
記事を投稿しますね。
ごきげんよう
“二次方程式”、『解と係数の関係』難しいようですな…(;一_一) [理系っぽいお話]
皆さん、こんにちは~
先日、中学生の生徒さんから
「二次方程式の解と係数の関係がさっぱりわかりません」
と泣きつかれました
なんでも由来がわからないそうで、いい機会なのでここでもちょっと触れておきます。
まずは、なんでこんなもの(解と係数の関係)があるのか
考えてみましょう。
たとえば、
$x^2+5x+6=0$
の答えは、
$(x+2)(x+3)=0$
と因数分解できて、
$x=-2,-3$
となります。他にも、
$2x^2+7x+3=0$ は、
$(x+3)(2x+1)=0$ とできて、
\[x=-3,-\frac{1}{2}\]
となりますが、この二つの二次方程式の答えが違うのは、二次方程式の係数が違うからですよね。(当たり前のことを言ってるんです!)
ということは、二次方程式の“係数”と二次方程式の“解”の間には何か関係があるのではないか?
と考えるわけです。
さあ、それではいきますよー
二次方程式 $ax^2+bx+c=0$ ・・・① の解と係数の関係を考えていきましょう。
まずは、今回のお話の前提を設定します。
二次方程式①の解を
$α,β$ とします。
それから、$a≠0$ も仮定しておきます。
(そうでないと二次方程式になりませんからね!)
これらの設定の主張は、①の方程式を解けば、答えが
$x=α,β$ になるということを言っています。
ではここで逆に、$x=α,β$ を答えに持つ二次方程式はどんな形をしているのか考えてみましょう。
どうでしょうか
$x=α,β$ を答えに持つ方程式の一つは、
$a(x-α)(x-β)=0$ ・・・②
ですよね。簡単のために、$ax^2+bx+c=0$ とは $x^2$ の係数を $a$ で同じもので合わせておきました。
②を展開してちょっとまとめると・・・、
$ax^2-a(α+β)x+aαβ=0$ ・・・②’
になります。ここで、今回のお話の大前提に立ち戻ってみると、①と②(または②’)は、
$x=α,β$
を答えに持つ二次方程式でしたよね。しかも、$x^2$ の係数が同じなので、この二つの式は同じものでなくてはなりません。
そこで、①と②’を改めて並べてみてみましょう。
$ax^2+bx+c=0$
$ax^2-a(α+β)x+aαβ=0$
この二つの式が同じ式でなくてはならないので、係数を比較すると、
$b=-a(α+β)$
$c=aαβ$
という式が得られて、
\[α+β=-\frac{b}{a}\]
\[αβ=\frac{c}{a}\]
という関係が得られました。
なるほど、
解の公式
\[x=\frac{-a\pm\sqrt{b^2-4ac}}{2a}\]
と比べるとはるかに綺麗な関係式になっていますね。
『解と係数の関係』を求める方法自体も重要なので、ようく確認しておいてくださいね
それではまた
先日、中学生の生徒さんから
「二次方程式の解と係数の関係がさっぱりわかりません」
と泣きつかれました
なんでも由来がわからないそうで、いい機会なのでここでもちょっと触れておきます。
まずは、なんでこんなもの(解と係数の関係)があるのか
考えてみましょう。
たとえば、
$x^2+5x+6=0$
の答えは、
$(x+2)(x+3)=0$
と因数分解できて、
$x=-2,-3$
となります。他にも、
$2x^2+7x+3=0$ は、
$(x+3)(2x+1)=0$ とできて、
\[x=-3,-\frac{1}{2}\]
となりますが、この二つの二次方程式の答えが違うのは、二次方程式の係数が違うからですよね。(当たり前のことを言ってるんです!)
ということは、二次方程式の“係数”と二次方程式の“解”の間には何か関係があるのではないか?
と考えるわけです。
さあ、それではいきますよー
二次方程式 $ax^2+bx+c=0$ ・・・① の解と係数の関係を考えていきましょう。
まずは、今回のお話の前提を設定します。
二次方程式①の解を
$α,β$ とします。
それから、$a≠0$ も仮定しておきます。
(そうでないと二次方程式になりませんからね!)
これらの設定の主張は、①の方程式を解けば、答えが
$x=α,β$ になるということを言っています。
ではここで逆に、$x=α,β$ を答えに持つ二次方程式はどんな形をしているのか考えてみましょう。
どうでしょうか
$x=α,β$ を答えに持つ方程式の一つは、
$a(x-α)(x-β)=0$ ・・・②
ですよね。簡単のために、$ax^2+bx+c=0$ とは $x^2$ の係数を $a$ で同じもので合わせておきました。
②を展開してちょっとまとめると・・・、
$ax^2-a(α+β)x+aαβ=0$ ・・・②’
になります。ここで、今回のお話の大前提に立ち戻ってみると、①と②(または②’)は、
$x=α,β$
を答えに持つ二次方程式でしたよね。しかも、$x^2$ の係数が同じなので、この二つの式は同じものでなくてはなりません。
そこで、①と②’を改めて並べてみてみましょう。
$ax^2+bx+c=0$
$ax^2-a(α+β)x+aαβ=0$
この二つの式が同じ式でなくてはならないので、係数を比較すると、
$b=-a(α+β)$
$c=aαβ$
という式が得られて、
\[α+β=-\frac{b}{a}\]
\[αβ=\frac{c}{a}\]
という関係が得られました。
なるほど、
解の公式
\[x=\frac{-a\pm\sqrt{b^2-4ac}}{2a}\]
と比べるとはるかに綺麗な関係式になっていますね。
『解と係数の関係』を求める方法自体も重要なので、ようく確認しておいてくださいね
それではまた
【必要条件】?、【十分条件】? 『愛の告白』でよくわかる?! [理系っぽいお話]
以前、数学の〈命題〉のお話で、
二つの命題 $p$ と $q$ が与えられた時、どちらが【必要条件】か【十分条件】か判断しなさいって問題の考え方を“ダジャレ”で考えるやり方をご紹介しました。
今回は、ちょっと趣向を変えてこの命題について『愛の告白』をテーマに考えたいと思います。
まずは、
$p⇒q$
つまり、
『$p$ならば$q$』
という命題が“真”、簡単に言うと正しいならば、【命題$p$】と【命題$q$】にはどんな関係があるか考えましょう。
これは意外と簡単です。
具体例で考えますよーっ
たとえば、
『男性ならば人間である』というのは正しい主張に感じますが、
『人間ならば男性である』と言われると、「あら?」って思いますよね。
そう、“常識的判断”から、『男性ならば人間である』の主張が正しいと私たちは判断するのです。
ここから考えていくと、
“$p$”に相当する集合は、“$q$”に相当する集合の一部で、しかも“$p$”は“$q$”にすっぽりと入っているべきであることがわかります。
だって、“男性”という集合は“人間”とういう集合の一部なんですから。
これをカッコつけて言うと、
『“$p$”は“$q$”の部分集合』になっている
っていう感じでしょうか。
視覚的にみると、
こんな感じです。
ですから、
二つの命題“$p$”と“$q$”が与えられた時には、
まず、どっちが大きいのか小さいのかを考えて、
大きいほうを矢印の先(とがった方)に、
小さいほうを矢印の元に置けばいいわけです。
さあ、そしてどちらが【必要条件】か【十分条件】か判断する場合ですが、
ここで、『愛の告白』が出てきます
皆さん、女性になった気持ちで考えてください。
もしも、二人の男性から告白を受けたとして、
「君のことが必要だ!」という男性と、
「君で十分だ!」という男性をどちらを選びますか?
「必要だ!」っていう言葉の方が、
「十分だ!」っていう言葉よりも愛を感じませんか?
「君で十分だ!」なんて言われたら、へたをしたら
ケンカにでもなりそうな雰囲気すらありますよね。
こう考えると、“必要”という言葉のほうが、“十分”という言葉より気持が多くこもっていることが感じ取れると思います。
つまり、
【十分条件】$<$【必要条件】
という関係が見いだせるわけです。
これを命題に当てはめると、
大きな方の命題“$q$”は、大きいから【必要条件】。
小さな方の命題“$p$”は、小さいから【十分条件】であると、スッととらえることができると思います。
案外数学って、感情豊かな学問なんですね。
二つの命題 $p$ と $q$ が与えられた時、どちらが【必要条件】か【十分条件】か判断しなさいって問題の考え方を“ダジャレ”で考えるやり方をご紹介しました。
今回は、ちょっと趣向を変えてこの命題について『愛の告白』をテーマに考えたいと思います。
まずは、
$p⇒q$
つまり、
『$p$ならば$q$』
という命題が“真”、簡単に言うと正しいならば、【命題$p$】と【命題$q$】にはどんな関係があるか考えましょう。
これは意外と簡単です。
具体例で考えますよーっ
たとえば、
『男性ならば人間である』というのは正しい主張に感じますが、
『人間ならば男性である』と言われると、「あら?」って思いますよね。
そう、“常識的判断”から、『男性ならば人間である』の主張が正しいと私たちは判断するのです。
ここから考えていくと、
“$p$”に相当する集合は、“$q$”に相当する集合の一部で、しかも“$p$”は“$q$”にすっぽりと入っているべきであることがわかります。
だって、“男性”という集合は“人間”とういう集合の一部なんですから。
これをカッコつけて言うと、
『“$p$”は“$q$”の部分集合』になっている
っていう感じでしょうか。
視覚的にみると、
こんな感じです。
ですから、
二つの命題“$p$”と“$q$”が与えられた時には、
まず、どっちが大きいのか小さいのかを考えて、
大きいほうを矢印の先(とがった方)に、
小さいほうを矢印の元に置けばいいわけです。
さあ、そしてどちらが【必要条件】か【十分条件】か判断する場合ですが、
ここで、『愛の告白』が出てきます
皆さん、女性になった気持ちで考えてください。
もしも、二人の男性から告白を受けたとして、
「君のことが必要だ!」という男性と、
「君で十分だ!」という男性をどちらを選びますか?
「必要だ!」っていう言葉の方が、
「十分だ!」っていう言葉よりも愛を感じませんか?
「君で十分だ!」なんて言われたら、へたをしたら
ケンカにでもなりそうな雰囲気すらありますよね。
こう考えると、“必要”という言葉のほうが、“十分”という言葉より気持が多くこもっていることが感じ取れると思います。
つまり、
【十分条件】$<$【必要条件】
という関係が見いだせるわけです。
これを命題に当てはめると、
大きな方の命題“$q$”は、大きいから【必要条件】。
小さな方の命題“$p$”は、小さいから【十分条件】であると、スッととらえることができると思います。
案外数学って、感情豊かな学問なんですね。
物理編→“相対速度”、皆さん、直感でやってませんか?! ( ^-’)b [理系っぽいお話]
相対速度…。
「あー、あれね、“Aから見たら、Bはどのような速度か?”ってやつでしょ。」
学生さんは大抵こんな反応を示します。
一次元は簡単なのですよ。
正直、かなり直感的に出来ます。
ところが二次元以上になると途端にアレレ???
となってしまうのです。
物理のお話、
特に古典論は、
日常生活で実感できる範囲の物を扱う事が多いので、
ちょっと気軽にとらえがちですが…、
実は、なめてかかると足をすくわれるのですねぇ。
さて、
それでは、『相対速度』の本質に迫りましょう。
相対速度の根底にある思想は、
『相対量』です。
物理では、
『相対~』というものを結構扱います。
~の部分には、加速度、変位、など、
速度以外にも様々な“量”が出てきますので、
この際まとめて、
『相対量』として理解した方が楽でしょう。
相対量のお話でよく出る文言は例えば、
「Aから見て、Bの速度はどのくらいか?」とか、
「Aと比べると、Bはどの位置にいるか?」
なんてやつですよね。
まず、相対量ですが、
あるものを“基準”にとると、その“対象”となる‘量(値)’は、
どんなふうに見えるのかな?
という事を言っているにすぎないのです。
こんな例はいかがでしょうか。
『歴史のテストを行いました。
A君は75点、B君は81店、C君は63点でした。
A君から見て、
Bくん、C君はそれぞれ何点の差があるでしょうか?』
回答:A君から見て、B君は6点高く、C君は12点低い。
B君の場合は、簡単ですね。
\[81-75=6\]
と、暗算した人も多いでしょう。
C君の場合はどうでしょうか、
“差”だけ分かればいいのだからと、
\[75-63=12\]
とやってしまった人もいるのではないでしょうか。
残念!!!、
C君の場合も、
\[63-75=-12\]
というふうに、A君を後から引くようにしなくてはなりません。
問題文中の
“A君から見て”
というのは、
“A君を基準にして”と読むのですね。
さあ、そうすると、
“相対量”とは、
A君の様な“基準値”から、
B君、C君のような比較の対象の値、
つまり、“対象値”を引いたものとして、
‘機械的’に計算ができるようになるのです。
結果が、プラスなら高い・多いと言え、
マイナスなら、低い・少ない、などと言えばよいわけですね。
つまり、
とまとめられるわけです。
二次元以上のお話では、
これをベクトルの引き算にすればよいだけですから、
話の根底は全く変わりません。
いかがでしたでしょうか。
それではまた、
『理系っぽいお話』でお会いしましょう。
「あー、あれね、“Aから見たら、Bはどのような速度か?”ってやつでしょ。」
学生さんは大抵こんな反応を示します。
一次元は簡単なのですよ。
正直、かなり直感的に出来ます。
ところが二次元以上になると途端にアレレ???
となってしまうのです。
物理のお話、
特に古典論は、
日常生活で実感できる範囲の物を扱う事が多いので、
ちょっと気軽にとらえがちですが…、
実は、なめてかかると足をすくわれるのですねぇ。
さて、
それでは、『相対速度』の本質に迫りましょう。
相対速度の根底にある思想は、
『相対量』です。
物理では、
『相対~』というものを結構扱います。
~の部分には、加速度、変位、など、
速度以外にも様々な“量”が出てきますので、
この際まとめて、
『相対量』として理解した方が楽でしょう。
相対量のお話でよく出る文言は例えば、
「Aから見て、Bの速度はどのくらいか?」とか、
「Aと比べると、Bはどの位置にいるか?」
なんてやつですよね。
まず、相対量ですが、
あるものを“基準”にとると、その“対象”となる‘量(値)’は、
どんなふうに見えるのかな?
という事を言っているにすぎないのです。
こんな例はいかがでしょうか。
『歴史のテストを行いました。
A君は75点、B君は81店、C君は63点でした。
A君から見て、
Bくん、C君はそれぞれ何点の差があるでしょうか?』
回答:A君から見て、B君は6点高く、C君は12点低い。
B君の場合は、簡単ですね。
\[81-75=6\]
と、暗算した人も多いでしょう。
C君の場合はどうでしょうか、
“差”だけ分かればいいのだからと、
\[75-63=12\]
とやってしまった人もいるのではないでしょうか。
残念!!!、
C君の場合も、
\[63-75=-12\]
というふうに、A君を後から引くようにしなくてはなりません。
問題文中の
“A君から見て”
というのは、
“A君を基準にして”と読むのですね。
さあ、そうすると、
“相対量”とは、
A君の様な“基準値”から、
B君、C君のような比較の対象の値、
つまり、“対象値”を引いたものとして、
‘機械的’に計算ができるようになるのです。
結果が、プラスなら高い・多いと言え、
マイナスなら、低い・少ない、などと言えばよいわけですね。
つまり、
【相対量】=【対象値(量)】-【基準値(量)】
とまとめられるわけです。
二次元以上のお話では、
これをベクトルの引き算にすればよいだけですから、
話の根底は全く変わりません。
いかがでしたでしょうか。
それではまた、
『理系っぽいお話』でお会いしましょう。
“必要条件”?、それとも、“十分条件”? ダジャレでいきましょう! (^^♪ [理系っぽいお話]
『命題』…。
皆さんの大好きな分野ですよね?!
なんだか、ブーイングのあらしの予感。
『“pならばq”が真なら、pを十分条件、qを必要条件という。』
教科書によくある記述です。
これでわかる人は天才でしょうね!
ネットで調べてみても、
非常に細かに説明されていますが…、
あのような繊細な(?)内容を、
試験時間内に悠長にやっていられるほど、
時間ってないのですよね。
もっと、(かなり?)直感的にいきましょう。
まず、何はさておき具体例が何よりわかりやすいので、
一つ具体例をあげましょう。こんな例を考えてみて下さい。
『“女性”なら、“人間”である。』
『女性⇒人間』…(a)
『“人間”なら、“女性”である。』
『人間⇒女性』…(b)
さて、この(a)と(b)、どちらが常識的に判断して、
しっくりとくるでしょうか?
今の人口比率から言って、(a)が妥当ですよね。
それでは、(a)について考察をしてみましょう。
“女性”という集合と“人間”という集合はどちらが大きいかというと、
“人間”という集合という事になりますよね。
つまり、“女性”という集合は、“人間”という集合にすっぽりと含まれるわけです。
これを最初の言い方に当てはめると、
女性=p(十分条件)、人間=q(必要条件)となります。
つまり、下の図でのpとqには、
というような関係があります。
ここでまず理解したいのは、
矢印のしっぽの命題は“小さい命題”、
矢印の先(とがった方)の命題は“大きな命題”、
という事です。
命題を考える時に、まず考えるべきは、
大きいか、小さいか、
まずはそれでよいわけです。
それで、大きい方を矢印のとがった方におけばいいわけですね。
その後に出てくるのが、
どっちが“十分条件”で、どっちが“必要条件”だったっけ???
という疑問です。
さーて、ここからが“ダジャレ”ですよ!
pとqの間にあるのは、矢印(⇒)ですよね。
矢印を何故“矢”印というのか?
それは、“矢”の形から来ているわけです。
それでは、今、流行り(?)のダーツの矢を見てみましょう。
このダーツの矢、お尻が4枚の羽根で出来ています。
さあ、自分が命題“p”になったつもりで、
矢をお尻から、30秒ほど眺めてみましょう。
色々と角度を変えてみると…、
何か見えてきませんか?
そう、『十文字』です!
ところで、矢印のお尻の方にある命題は…、“十分条件”でしたね。
いかがでしょうか?
これなら簡単でしょ♪
もう一度整理すると、
まず、
1.命題の大小を調べる。
2.小さい方を矢印のお尻、大きい方を矢印の先とする。
(わからなくなったら、“女性”と“人間”などの例で確認してください。)
3.矢印のお尻からの眺めは『十文字』だからお尻側(小さい方)が、“十分条件”。もう片方が“必要条件”。と確定!
私が学生さんと勉強をしていて、
この方法でわからなかった学生さんは今のところ皆無です!
皆さんも、
参考にして下さいね。(ダジャレだけど…)
皆さんの大好きな分野ですよね?!
なんだか、ブーイングのあらしの予感。
『“pならばq”が真なら、pを十分条件、qを必要条件という。』
教科書によくある記述です。
これでわかる人は天才でしょうね!
ネットで調べてみても、
非常に細かに説明されていますが…、
あのような繊細な(?)内容を、
試験時間内に悠長にやっていられるほど、
時間ってないのですよね。
もっと、(かなり?)直感的にいきましょう。
まず、何はさておき具体例が何よりわかりやすいので、
一つ具体例をあげましょう。こんな例を考えてみて下さい。
『“女性”なら、“人間”である。』
『女性⇒人間』…(a)
『“人間”なら、“女性”である。』
『人間⇒女性』…(b)
さて、この(a)と(b)、どちらが常識的に判断して、
しっくりとくるでしょうか?
今の人口比率から言って、(a)が妥当ですよね。
それでは、(a)について考察をしてみましょう。
“女性”という集合と“人間”という集合はどちらが大きいかというと、
“人間”という集合という事になりますよね。
つまり、“女性”という集合は、“人間”という集合にすっぽりと含まれるわけです。
これを最初の言い方に当てはめると、
女性=p(十分条件)、人間=q(必要条件)となります。
つまり、下の図でのpとqには、
というような関係があります。
ここでまず理解したいのは、
矢印のしっぽの命題は“小さい命題”、
矢印の先(とがった方)の命題は“大きな命題”、
という事です。
命題を考える時に、まず考えるべきは、
大きいか、小さいか、
まずはそれでよいわけです。
それで、大きい方を矢印のとがった方におけばいいわけですね。
その後に出てくるのが、
どっちが“十分条件”で、どっちが“必要条件”だったっけ???
という疑問です。
さーて、ここからが“ダジャレ”ですよ!
pとqの間にあるのは、矢印(⇒)ですよね。
矢印を何故“矢”印というのか?
それは、“矢”の形から来ているわけです。
それでは、今、流行り(?)のダーツの矢を見てみましょう。
このダーツの矢、お尻が4枚の羽根で出来ています。
さあ、自分が命題“p”になったつもりで、
矢をお尻から、30秒ほど眺めてみましょう。
色々と角度を変えてみると…、
何か見えてきませんか?
そう、『十文字』です!
ところで、矢印のお尻の方にある命題は…、“十分条件”でしたね。
いかがでしょうか?
これなら簡単でしょ♪
もう一度整理すると、
まず、
1.命題の大小を調べる。
2.小さい方を矢印のお尻、大きい方を矢印の先とする。
(わからなくなったら、“女性”と“人間”などの例で確認してください。)
3.矢印のお尻からの眺めは『十文字』だからお尻側(小さい方)が、“十分条件”。もう片方が“必要条件”。と確定!
私が学生さんと勉強をしていて、
この方法でわからなかった学生さんは今のところ皆無です!
皆さんも、
参考にして下さいね。(ダジャレだけど…)
“日本の教科書 ???” シリーズ! 数学の巻△ ( ..)φメモメモ H25.8月21日付 [理系っぽいお話]
はるか昔、(大げさかな?)
20数年前に、
日本の入試英語は、
“江戸時代くらいの時代の古い英語だ”
と、海外のメディアから指摘されたことがありました。
そうなったときに、
当時の文部省(現文科省)の動きは早かったです!
あっという間に、現代英語に切り替えてしまいました。
さすがにその時は、
役人さん、やるなぁと、
感心したものです。
ところが、
数学の教科書って、
何だか古いのですよねぇ。
というか、
現在の高校で扱っている数学というのは、
どちらかというと、
“古典数学”
というべき内容なので、
このままでもいいのかもしれませんが…。
ちなみに何が古いのか?!
例えば、
ベクトルの表記法ですが、
現在の教科書では、
文字の上に“→”をつけて、
\[ \vec{a} = (a_1, a_2, \cdots, a_n) \]
のように記述しますが、
すでに、50年以上前の日本の数学の本では、
こういった記述はされていませんでした。
ではどう表現するのかといいますと、
上述のような矢印ではなく、
太字、つまりボールド体でベクトルを表現しています。
\[ \mathbf{a} = (a_1, a_2, \cdots, a_n) \]
という感じでしょうか。
手書きの例は省略しますが、
まあ、一般的にはこんなふうにベクトルを書くようです。
それから、
“単位行列”についても記述法の違いがあるようです。
現在の教科書では、
\[ E \]
というように単位行列を記述しますね。
これは、
ドイツ語の、Einheit(単位)からとったものだそうです。
ドイツと言えばかつては、
数学だけでなく、医療なども世界のトップクラスでしたから、
その名残だと言えますね。
しかしながら、現在では、
単位行列を、
\[ I \]
というように大文字の$I$を用いて記述する流れもあります。
既に45年くらい前の日本の数学の本では、
このように$I$で表現されているものもありました。
これは、英語のIdentityの頭文字をとったものです。
誰もが知っている“単位元”の“1”にもよく似ていますから、
何となくこっちのがいいと思うのかもしれませんね。
まあ、それと、
“現代のローマ帝国”たるアメリカの国際的な力関係から、
英語による記述が広がっているとみることもできるでしょう。
今のこの数学の記述法、
古いとみるか、
時代に流されずにブレナイ姿を良いとするか、
さて、
皆さんは、どう感じますでしょうか?
20数年前に、
日本の入試英語は、
“江戸時代くらいの時代の古い英語だ”
と、海外のメディアから指摘されたことがありました。
そうなったときに、
当時の文部省(現文科省)の動きは早かったです!
あっという間に、現代英語に切り替えてしまいました。
さすがにその時は、
役人さん、やるなぁと、
感心したものです。
ところが、
数学の教科書って、
何だか古いのですよねぇ。
というか、
現在の高校で扱っている数学というのは、
どちらかというと、
“古典数学”
というべき内容なので、
このままでもいいのかもしれませんが…。
ちなみに何が古いのか?!
例えば、
ベクトルの表記法ですが、
現在の教科書では、
文字の上に“→”をつけて、
\[ \vec{a} = (a_1, a_2, \cdots, a_n) \]
のように記述しますが、
すでに、50年以上前の日本の数学の本では、
こういった記述はされていませんでした。
ではどう表現するのかといいますと、
上述のような矢印ではなく、
太字、つまりボールド体でベクトルを表現しています。
\[ \mathbf{a} = (a_1, a_2, \cdots, a_n) \]
という感じでしょうか。
手書きの例は省略しますが、
まあ、一般的にはこんなふうにベクトルを書くようです。
それから、
“単位行列”についても記述法の違いがあるようです。
現在の教科書では、
\[ E \]
というように単位行列を記述しますね。
これは、
ドイツ語の、Einheit(単位)からとったものだそうです。
ドイツと言えばかつては、
数学だけでなく、医療なども世界のトップクラスでしたから、
その名残だと言えますね。
しかしながら、現在では、
単位行列を、
\[ I \]
というように大文字の$I$を用いて記述する流れもあります。
既に45年くらい前の日本の数学の本では、
このように$I$で表現されているものもありました。
これは、英語のIdentityの頭文字をとったものです。
誰もが知っている“単位元”の“1”にもよく似ていますから、
何となくこっちのがいいと思うのかもしれませんね。
まあ、それと、
“現代のローマ帝国”たるアメリカの国際的な力関係から、
英語による記述が広がっているとみることもできるでしょう。
今のこの数学の記述法、
古いとみるか、
時代に流されずにブレナイ姿を良いとするか、
さて、
皆さんは、どう感じますでしょうか?
『“関西弁”の数学の教科書』…コリャー一読の価値有りだぁ。(^◇^) [理系っぽいお話]
数学や物理、
はたまた、経済・社会学等で、
数学的手法を用いようとする時、
ちょいちょい顔を出すのが、
ベクトル・行列を題材にしている、
『線形代数学』ですよね。
式だけ眺めていると、
何だかわけがわからないことをしているなぁと、
感じる方も多くいらっしゃると思いますが、
実は、面倒くさがりの精神で見ていくと、
共感を覚える分野でもあります。
そんな『線形代数学』を、
ちょっと身近に感じられる本に、
笠原晧司先生の書かれた、
『新微分方程式対話』というのがあります。
この本、
おそらく後にも先にもない記述法をとる、
唯一の“数学の教科書”であろうと思われます。
何が唯一かというと、
“関西弁”の‘対話形式’を取っている点です。
数学の本を関西弁で書いてしまうという、
この発想、今どきの言い方で言うと、
「じぇ、じぇ、じぇ!」
ってとこでしょうか。
まさに驚きの一冊に違いありません。
内容も、
非常に丁寧に書いていますので、
のんびり読むのもいいと思います。
この“関西弁”の“数学の本”、
皆さんもぜひご一読下さいませ。
はたまた、経済・社会学等で、
数学的手法を用いようとする時、
ちょいちょい顔を出すのが、
ベクトル・行列を題材にしている、
『線形代数学』ですよね。
式だけ眺めていると、
何だかわけがわからないことをしているなぁと、
感じる方も多くいらっしゃると思いますが、
実は、面倒くさがりの精神で見ていくと、
共感を覚える分野でもあります。
そんな『線形代数学』を、
ちょっと身近に感じられる本に、
笠原晧司先生の書かれた、
『新微分方程式対話』というのがあります。
この本、
おそらく後にも先にもない記述法をとる、
唯一の“数学の教科書”であろうと思われます。
何が唯一かというと、
“関西弁”の‘対話形式’を取っている点です。
数学の本を関西弁で書いてしまうという、
この発想、今どきの言い方で言うと、
「じぇ、じぇ、じぇ!」
ってとこでしょうか。
まさに驚きの一冊に違いありません。
内容も、
非常に丁寧に書いていますので、
のんびり読むのもいいと思います。
この“関西弁”の“数学の本”、
皆さんもぜひご一読下さいませ。
『剰余の定理』…イカメシイ名前ですなぁ。(^_^;) [理系っぽいお話]
『剰余の定理』と聞くと、
とたんに青ざめていやになる学生さん
って多い気がするのは私だけでしょうか?
その上、
\begin{eqnarray*} P(x)=(x-p)Q(x)+R(x) \end{eqnarray*}
という式を出されて、
$(x-p):P(x)$を割るもの、$Q(x)$:商、$R(x)$:余り。
と機械的に書いてあった日にゃ~あんた、
「数学は今日かぎりでやめさせていただきます!」
なんてなるのは目に見えていますよね。
剰余の定理というのは、実は小学生でも知っていることを、
“漢字”で書いたために難しく感じてしまうものなのです。
こんな例はいかがでしょうか。
「7を3で割った時の商と余りを式を使って示せ。」
(数学ってなんでいちいち命令形なのでしょうか?)
これは意外と(相当?)簡単で、
\begin{eqnarray*} 7=3×2+1 \end{eqnarray*}
となって、商が2、余りが1なのは解りますよね。
実はたったこれだけの話なのです。
だって割り算ですから。
これを、一般の‘整式’などに当てはめると、
例えば、
「整式$x^{2011}$を$x^2+1$で割った余りを求めよ。(京都薬大)」
なんて問題も解けてしまうわけですね。
ちなみにこの回答は、
2011次式を2次式の$x^2+1$で割るので、
余りを、1次式でおけばいいわけです。
例えば、
$ax+b$とでもおいてみましょうか。($a,b$は実数)
さらに、商を$Q(x)$とでもおくと、
\begin{eqnarray*} x^{2011}=(x^2+1)Q(x)+(ax+b) \end{eqnarray*}
という式になりますが、
この$Q(x)$が得体が知れないので消えて欲しいのです。
しかし、
$Q(x)$がどんなに得体が知れなくても、
“$0$”をかけたら、 $0$ になっちゃいますよね。
そこで、
$Q(x)$にかけてある$x^2+1$が、
$x^2+1=0$となるような“$x$”である“$x=i$”を式に代入して、
ガタガタ計算をしていくと、
“$a=-1$”、“$b=0$”となるので、(計算は省略)
余りは、“$-x$”となるのです。
小学生以来の数学もかなり重要だという事がわかりますね。
とたんに青ざめていやになる学生さん
って多い気がするのは私だけでしょうか?
その上、
\begin{eqnarray*} P(x)=(x-p)Q(x)+R(x) \end{eqnarray*}
という式を出されて、
$(x-p):P(x)$を割るもの、$Q(x)$:商、$R(x)$:余り。
と機械的に書いてあった日にゃ~あんた、
「数学は今日かぎりでやめさせていただきます!」
なんてなるのは目に見えていますよね。
剰余の定理というのは、実は小学生でも知っていることを、
“漢字”で書いたために難しく感じてしまうものなのです。
こんな例はいかがでしょうか。
「7を3で割った時の商と余りを式を使って示せ。」
(数学ってなんでいちいち命令形なのでしょうか?)
これは意外と(相当?)簡単で、
\begin{eqnarray*} 7=3×2+1 \end{eqnarray*}
となって、商が2、余りが1なのは解りますよね。
実はたったこれだけの話なのです。
だって割り算ですから。
これを、一般の‘整式’などに当てはめると、
例えば、
「整式$x^{2011}$を$x^2+1$で割った余りを求めよ。(京都薬大)」
なんて問題も解けてしまうわけですね。
ちなみにこの回答は、
2011次式を2次式の$x^2+1$で割るので、
余りを、1次式でおけばいいわけです。
例えば、
$ax+b$とでもおいてみましょうか。($a,b$は実数)
さらに、商を$Q(x)$とでもおくと、
\begin{eqnarray*} x^{2011}=(x^2+1)Q(x)+(ax+b) \end{eqnarray*}
という式になりますが、
この$Q(x)$が得体が知れないので消えて欲しいのです。
しかし、
$Q(x)$がどんなに得体が知れなくても、
“$0$”をかけたら、 $0$ になっちゃいますよね。
そこで、
$Q(x)$にかけてある$x^2+1$が、
$x^2+1=0$となるような“$x$”である“$x=i$”を式に代入して、
ガタガタ計算をしていくと、
“$a=-1$”、“$b=0$”となるので、(計算は省略)
余りは、“$-x$”となるのです。
小学生以来の数学もかなり重要だという事がわかりますね。
方程式・不等式の“移項”って、普通のこと??? (゜.゜) [理系っぽいお話]
この間、
「数学の方程式で、移項が解らなーい!」
って言ってる子がいました。
移項かぁ、と思ったのですが、
移項という名のこの数学上の‘儀式’、
皆さんは当たり前でしょうか?
この“移項”、実は見かけ上の操作で、
決して当たり前のことではないという事実、
感じられるでしょうか?
移項というのは、
\[ x+a=b \]
で、 $a$ を左から右に“移す”際に符号を入れ替えて移動し、
\[ x=b-a \]
とする事ですよね。
これがなぜ許されるのか?
そもそも、方程式は真ん中のイコール$=$があるからこそ方程式たり得るわけですが、
このイコールに矛盾しないことをする行為は全て認められるわけです。
この時、天秤を思い浮かべると分かりやすいですね。
天秤がつり合った状態が“イコール”です。
何かをして、釣り合いを保つ時はどんな時でしょうか?
簡単な例では、同じものを加えたり、除いたりする操作があげられますね。
“同じもの”なら、左右均等に足したり引いたりする場合、
確かに、イコールは保たれます。
ですから、本当は、
\[ x+a=b \]
の両辺からまずは、$a$を引く、($-a$を足す)という操作を行うわけです。つまり、
\[ x+a-a=b-a \]
となって、
\[ x=b-a \]
と出来るのですよね。
この最初の式と最後の式を並べて、30秒ほど眺めてみると…、
\begin{eqnarray*} x+a&=&b\\ x&=&b-a \end{eqnarray*} 確かに、$a$の符号を入れ替えて、左から右に機械的に移しているように見えますよね。
じゃ、途中の式っていらないじゃん!という事で、
この操作を“移項”と言ってジャンジャン使ってしまいましょう!という話になっているわけですね。
ところでなんでこんな話をしているのかというと、
こう言ったことが、大学受験のお話をする時にキーポイントになってくることが結構あるのです。
一見難しそうに思えるものほど、基本に忠実に造ってあるものです。
ですから、このような数学の基本操作の中にある“当たり前”。
これらをもう一度見直してみると、
何か面白い発見があるかもしれませんね。
「数学の方程式で、移項が解らなーい!」
って言ってる子がいました。
移項かぁ、と思ったのですが、
移項という名のこの数学上の‘儀式’、
皆さんは当たり前でしょうか?
この“移項”、実は見かけ上の操作で、
決して当たり前のことではないという事実、
感じられるでしょうか?
移項というのは、
\[ x+a=b \]
で、 $a$ を左から右に“移す”際に符号を入れ替えて移動し、
\[ x=b-a \]
とする事ですよね。
これがなぜ許されるのか?
そもそも、方程式は真ん中のイコール$=$があるからこそ方程式たり得るわけですが、
このイコールに矛盾しないことをする行為は全て認められるわけです。
この時、天秤を思い浮かべると分かりやすいですね。
天秤がつり合った状態が“イコール”です。
何かをして、釣り合いを保つ時はどんな時でしょうか?
簡単な例では、同じものを加えたり、除いたりする操作があげられますね。
“同じもの”なら、左右均等に足したり引いたりする場合、
確かに、イコールは保たれます。
ですから、本当は、
\[ x+a=b \]
の両辺からまずは、$a$を引く、($-a$を足す)という操作を行うわけです。つまり、
\[ x+a-a=b-a \]
となって、
\[ x=b-a \]
と出来るのですよね。
この最初の式と最後の式を並べて、30秒ほど眺めてみると…、
\begin{eqnarray*} x+a&=&b\\ x&=&b-a \end{eqnarray*} 確かに、$a$の符号を入れ替えて、左から右に機械的に移しているように見えますよね。
じゃ、途中の式っていらないじゃん!という事で、
この操作を“移項”と言ってジャンジャン使ってしまいましょう!という話になっているわけですね。
ところでなんでこんな話をしているのかというと、
こう言ったことが、大学受験のお話をする時にキーポイントになってくることが結構あるのです。
一見難しそうに思えるものほど、基本に忠実に造ってあるものです。
ですから、このような数学の基本操作の中にある“当たり前”。
これらをもう一度見直してみると、
何か面白い発見があるかもしれませんね。
“日本の教科書 ???” シリーズ! 数学の巻△ ( ..)φメモメモ [理系っぽいお話]
学生さんと勉強をしていると、
たま~に、
教科書の記述に不思議な部分を発見します。
何てことはないかも知れませんが、
教科書の不思議に迫っていくシリーズの開始です。
今回は、“数学の教科書”、‘ベクトル’についてです。
教科書によくある記述として、
『ベクトルとは、‘大きさ’と‘向き’を持つ量の事を言う。』
矢印の記号とともに、こんな記述をよく見かけますよね。
それで、純粋な学生さんは、「なるほど、そうか~。」なんて信じ込んでしまうわけです。
ところが、これが大学に行くと一変してしまい、「あら~?!」っとなるのです。
それでは、高校生の皆さんにも簡単に感じられるベクトルのお話に行きましょう。
そもそも、ベクトルとは、
\[ \vec{a} = (a_1, a_2, \cdots, a_n) \]
のような、横や縦に数字を羅列したものを言います。
数字を並べただけなら、タダのデータくらいにしかなりませんが、
そこに、タス・ヒク・カケルなどの演算を定義することで、
数学の対象としてのベクトルになるわけですね。
でも、それだけでは高校の教科書にあるような、
‘大きさ’や、‘向き’というのは何だか出てきそうもありません。
そう、実はベクトルというものを普通に考えただけでは、
そこに‘大きさ’も、‘向き’も自然に備わっていないのです。
そこで、ある道具を使って、大きさと向き(角度)を定義するのですが、
さて、勘のいい人ならもう分かるかな?
いかがでしょうか。
その道具の正体は…、“内積”です。
それでは、内積の働き方について少々触れてみましょう。
ある性質をもったベクトルたちよ集まれ~っていって、
出来るのが、「ベクトル空間」です。
ここには、先程のように、大きさも向きもありません。
そこで、内積によって大きさと向きを定めてやると、
量の定義されたベクトル空間という事で、
これが、『計量ベクトル空間』となるわけですね。
そんなわけで、内積とは、ベクトル空間に向きと大きさを与えてくれる、
非常に大切な道具であることがわかりました。
特に、直交する性質を示すために、
内積=0
なんてのもよく使いますよね。
さて、今回はこんな感じで終了します。
面白かったですか
次回も、お楽しみに
たま~に、
教科書の記述に不思議な部分を発見します。
何てことはないかも知れませんが、
教科書の不思議に迫っていくシリーズの開始です。
今回は、“数学の教科書”、‘ベクトル’についてです。
教科書によくある記述として、
『ベクトルとは、‘大きさ’と‘向き’を持つ量の事を言う。』
矢印の記号とともに、こんな記述をよく見かけますよね。
それで、純粋な学生さんは、「なるほど、そうか~。」なんて信じ込んでしまうわけです。
ところが、これが大学に行くと一変してしまい、「あら~?!」っとなるのです。
それでは、高校生の皆さんにも簡単に感じられるベクトルのお話に行きましょう。
そもそも、ベクトルとは、
\[ \vec{a} = (a_1, a_2, \cdots, a_n) \]
のような、横や縦に数字を羅列したものを言います。
数字を並べただけなら、タダのデータくらいにしかなりませんが、
そこに、タス・ヒク・カケルなどの演算を定義することで、
数学の対象としてのベクトルになるわけですね。
でも、それだけでは高校の教科書にあるような、
‘大きさ’や、‘向き’というのは何だか出てきそうもありません。
そう、実はベクトルというものを普通に考えただけでは、
そこに‘大きさ’も、‘向き’も自然に備わっていないのです。
そこで、ある道具を使って、大きさと向き(角度)を定義するのですが、
さて、勘のいい人ならもう分かるかな?
いかがでしょうか。
その道具の正体は…、“内積”です。
それでは、内積の働き方について少々触れてみましょう。
ある性質をもったベクトルたちよ集まれ~っていって、
出来るのが、「ベクトル空間」です。
ここには、先程のように、大きさも向きもありません。
そこで、内積によって大きさと向きを定めてやると、
量の定義されたベクトル空間という事で、
これが、『計量ベクトル空間』となるわけですね。
そんなわけで、内積とは、ベクトル空間に向きと大きさを与えてくれる、
非常に大切な道具であることがわかりました。
特に、直交する性質を示すために、
内積=0
なんてのもよく使いますよね。
さて、今回はこんな感じで終了します。
面白かったですか
次回も、お楽しみに